連載「美容医療は人を幸せにするのか」 第1回
この記事の要点
美容医療のアンケートなら「きれいになった」が並ぶ。そう思われるかもしれません。院内でお預かりした700件を超える自由記述を匿名化して読み返すと、いちばん多く残されていたのは、別の言葉でした。安心、信頼、任せられる。それにあたる言葉を含む回答が231件。「うれしい」「前向き」など気持ちを表す言葉が182件。鏡、写真、外出、人の目といった暮らしの場面に触れた回答も57件ありました。
成蹊大学の社会学者・小林盾教授との共同研究では、来院された時点で幸福度が低い状態にある方が少なくないことも見えてきています。これだけで治療効果や因果関係を示すことはできません。それでも、患者さんが美容医療に何を求め、何に安心しているのかを考える手がかりになります。
件数は単純な語句検索による延べ数で、一つの回答に複数の語が含まれます。割合として読むことはできず、治療効果や幸福度の改善、その因果関係を示すものでもありません。
はじめに|余白に書かれていた、数行
アンケート用紙の、いちばん下の余白。
設問はすべて終わっているのに、そこから細い字で、数行が続いていることがあります。
「鏡を見ることが、つらい朝がありました。」
この一文は、内容の近い複数の回答に共通していた表現を、個人が特定されないよう一文にまとめたものです。
肌質の悩みについて書かれたはずの文章が、朝の気分へ、人に会うときの気持ちへ、仕事への向き合い方へと広がっていく。読み進めるうちに、見た目の悩みは鏡の前だけで終わるものではないのだと、あらためて感じました。
私は形成外科医として、しわやたるみ、肌質のご相談を受けています。そして以前から、「美容医療は患者さんを幸せにするのか」という問いを持ち、大学との共同研究を続けてきました。
まだ答えの出ていない問いです。だからこの連載では、結論を急がずに、一つずつ考えていきます。第1回は、院内でお預かりした700件を超える声から始めます。
1. 700件を超える手書きを、読み返しました
今回扱ったのは、院内アンケート原本700件を超える自由記述です。個人が特定される情報を除いたうえで、どのような言葉が繰り返し現れるかを整理しました。
美容医療のアンケートと聞くと、「きれいになった」「若く見える」といった言葉が並ぶ様子を想像されるかもしれません。
実際に何度も現れたのは、少し違う種類の言葉でした。
安心。信頼。任せられる。リラックス。
231件です。700件を超える回答のうち、それだけの数に、この種類の言葉が書かれていました。治療の仕上がりではなく、医療者との関係や、診察室で過ごした時間について書かれた言葉です。
「うれしい」「明るい」「前向きになれた」といった気持ちの言葉は182件。そして「鏡」「写真」「外出」「人の目」。暮らしのどの場面で気持ちが動いたかまで書き添えた回答が57件ありました。朝の洗面所。誰かに会う前。写真に写るとき。書かれていたのは、その方が顔を意識した時刻と場所です。
書き手は顔の話をしているようで、毎日の過ごし方の話をしている。私には、そう読めました。
安心して相談できたこと。自分の気持ちが少し動いたこと。診察室では言いきれなかったことが、余白のほうに残されていました。
2. なぜ、社会学者と一緒に研究を始めたのか
診察を重ねるなかで、鏡の前で静かに涙を流される方に出会うことがあります。
私が行っているのは、お顔の治療です。それだけのはずなのに、その方の話は、いつのまにかこれからの過ごし方のほうへ動いていく。
顔の変化は、その方の何に触れているのか。医師の実感だけで語ってよい話ではないと思いました。
そこで、成蹊大学の社会学者・小林盾教授と共同で、患者さんがどのように変化していくのかを、アンケートとインタビューから読み解く研究を続けています。
そして調査を通して見えてきたのは、治療のあとのことだけではありませんでした。
来院時点で、幸福度が低い状態にある方が、少なくなかった。
仕事。介護。ご自身の病気。家庭の状況。人間関係。立場としての重圧。理由はさまざまです。自分のことを後回しにし続けた末に、ようやくクリニックへ足を運ばれる方が、確かにいらっしゃいます。
美容医療は、きれいになりたい人が受けるもの。そう思われることが多いと思います。けれど回答を読んでいると、その手前にある事情のほうが、ずっと大きく見えてきます。
3. ただし、これは効果を示す数字ではありません
ここで、はっきりお伝えしておきたいことがあります。
アンケートの整理は、治療成績でも、満足度の集計でもありません。一つの回答に複数の語句が含まれるため、割合として読むこともできません。共同研究も、現在進行中の検証です。
成蹊大学との共同研究は継続中で、本記事の記述は途中経過の考察です。治療効果、幸福度の改善、両者の因果関係を示すものではありません。治療の効果や経過には個人差があります。
この整理から「美容医療を受ければ前向きになれる」と言うことはできない。それが前提です。
幸福感を支えているのは、体調であり、眠れているかであり、家族との関係であり、仕事のことです。美容医療が触れられるのは、そのうちの一つ、鏡の前の数分だけです。
それでも私が700件を超える声を読み返したのは、効果を証明するためではありません。患者さんが何に不安を感じ、何に安心されたのかを知るためでした。
4. 診察室で私が探しているのは、「戻りたい場所」です
「どこが気になりますか」
そう伺っても、最初からはっきり答えられる方ばかりではありません。
「以前の自分と、何かが違う気がする」
「疲れていないのに、疲れて見える」
「年齢だから仕方がないと思っている」
こうした言葉の奥には、鏡を見るのがつらい、人に会うと少し気後れする、写真に写るのを避けてしまう、といった日常があります。
年齢を重ねる時期は、顔の変化だけでなく、仕事や家族、体調、睡眠など、いくつもの要素が重なります。だから私は、すぐに治療の話から始めません。
いつから違和感が強くなったのか。その違和感が、毎日にどう影響しているのか。まずは、そこを伺います。
皮膚や脂肪、筋肉、骨格の状態を医学的に診ることは欠かせません。同じくらい大切にしているのが、「その方は、どこへ戻りたいのか」を知ることです。
若い頃の顔をそのまま再現したいのではなく、疲れて見えなかった頃の印象に戻りたい。人と話すときに、顔を気にしすぎなかった自分に戻りたい。鏡を見ても、必要以上に落ち込まなかった自分に戻りたい。
戻りたい場所が言葉にならないまま治療を重ねても、納得にはつながりにくいものです。だから診察では、治療を増やす前に、今の違和感を一緒に言葉にして、優先順位を整理します。ときには、急がない方がよいとお伝えすることもあります。
5. 美容医療は、どこまで幸せに関われるのか
美容医療は、人生そのものを引き受けるものではありません。
ただ、自分らしく過ごすための選択肢の一つにはなり得ます。私は、そのくらいの距離感で美容医療を捉えています。
見た目の悩みを言葉にすることをきっかけに、自分の気持ちが整理されていく。自分との向き合い方が、少しだけ変わる。私は診察室で、その場面に何度も立ち会ってきました。
顔のことだけを話しに来られたはずなのに、話はいつも毎日のほうへ広がっていく。だからこそ、この問いを手放せずにいます。
6. この連載で、確かめていきたいこと
アンケートに言葉を残してくださった患者さんに、心から感謝しています。
数字だけでは分からないことがあります。診察室では話しきれなかったことが、余白に書かれていることがあります。そこには、私たちが気づけていなかった不安と、守るべき安心感が記されていました。
美容医療は人を幸せにするのか。
次回からは、診察室で実際に交わされた問いと、共同研究から見えてきたことを一つずつ取り上げながら、この連載を続けていこうと思います。
よくある質問
この700件を超えるアンケートは、どのような内容をまとめたものですか?
院内アンケートに寄せられた700件を超える自由記述を匿名化し、どのような言葉が繰り返し現れるかを整理したものです。治療効果や満足度を数値で証明する目的の調査ではありません。
大学との共同研究とは、どのような取り組みですか?
成蹊大学の社会学者・小林盾教授と共同で、患者さんが美容医療を通してどのように変化していくのかを、アンケートとインタビューから読み解く研究です。現在も継続中で、本記事の記述は途中経過の考察にあたります。
この記事は「美容医療を受けると幸せになる」と示しているのですか?
いいえ。幸福感には体調や生活環境、人間関係など多くの要素が関わります。本記事は、患者さんが何に悩み、何に安心しているのかを読み解くための考察です。治療の効果や経過には個人差があります。
連載「美容医療は人を幸せにするのか」では、何を扱いますか?
診察室で実際に交わされた問いと、共同研究から見えてきたことを手がかりに、美容医療と心の関わりを回ごとに考えていきます。特定の治療をおすすめするための連載ではありません。
診察では、どのようなことを大切にしていますか?
私は、治療名を先に決めるのではなく、違和感がいつから始まり、毎日の気持ちにどう影響しているのかを伺うことを大切にしています。そのうえで、必要な治療と、急がなくてよいことを一緒に整理します。
※本記事は、院内アンケート原本700件を超える回答を匿名化して整理したものです。個人が特定される情報は掲載していません。
RESEARCH NOTE
研究記事としての位置づけ
本記事は、「美容医療は人を幸せにするのか」という研究連載の一部です。医療広告ガイドラインに配慮し、患者様の個人的な感想を治療効果や安全性の根拠として一般化せず、研究における一つの語りとして紹介しています。治療を検討する際に必要な情報は、本文中の「今回の治療について」にまとめています。
研究目的
美容医療を受けた患者様が、外見の捉え方や気持ちをどのように語るのかを記述し、施術後の経験と主観的な幸福感の関係を考察することを目的としています。一人の患者様の経験だけから、一般的な治療効果や幸福度の変化を結論づけるものではありません。
調査方法
施術直後の患者様へのインタビューと、施術前後の症例比較素材をもとに、発言の意味を損なわない範囲で読みやすく整えました。掲載しているのは、インタビューでご本人が実際に話した内容と、確認できた素材だけです。ご本人の自己評価は、医学的な測定値でも、比較対照を置いた調査結果でもありません。
倫理・個人情報への配慮
掲載は、患者様ご本人の同意を得た範囲に限っています。実名、施術日、撮影日など個人が特定される情報は掲載せず、症例写真は画像内で目元を匿名化しています。本文中のイラストは、ご本人のお写真をそのまま再現せず、顔立ちなど一部を変更しています。








